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海風と帆布

ミシンを踏む音。革を金槌で叩く音。ラジオ番組から漏れる声。

横浜の橋のたもとの工房は、今日も音にあふれている。

​忙しく立ち働く職人たちの間には、帆布が山と積まれている。

人生の中には、必然的な出会いがある。

​それに逆らわないことです。

前職を辞め、横浜ブランドのオリジナル鞄を作り始めた鈴木さん。

横浜という土地のルーツを大切にしながら、

その生き方は風のように自由でおおらかだ。

 

見果てぬ海を往くことは…

自由に生きる。

誰にでも与えられた権利なのに、なぜこれほどまでに難しいのだろう。

モノを作り続ける。

その行為は尊いのに、続けることはなぜこれほどに困難なのだろう。

「失敗したときは、『今は足踏みしろよ』と言われている気がする」

デザイナーとして働いていた鈴木さんは、「自分で何かを生み出せ」という内なる声を聞いて独立を決めた。

横浜のブランドを立ち上げようと決めて、土地に根を張り、たくさんの出会いに助けられながら、

横浜の帆布で鞄を作り続けた。

​その言葉には、人生に挑戦し続けることの秘訣が隠されているように感じた。

舞台衣裳を残す価値とは

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横浜の風が吹く橋のたもと。桟橋に面して、白壁のお店がある。​​​​小さなお店の中にはオリジナルの鞄が所せましと並ぶ。

五十歳で前職を辞めたという鈴木さんは、以来、横浜ブランドを独自で立ち上げようと鞄を作り続けてきた。

選んだ素材は帆布。お店に並ぶ鞄は全て、横浜で製造された帆布か、横浜に所縁のある地方の製造所から取り寄せたものだ。

​ブランドロゴである「045」は、横浜の市外局番を基にしている。

「横浜のブランドだから、横浜の物で。横浜の人たちの手によって作られなきゃいけない」

それぞれの製造所の成り立ちから、戦前からの横浜の歴史まで鈴木さんは説明してくれた。その知識量に舌を巻く。

横浜の土地柄や歴史を知るために、鈴木さんは歴史博物館にまで通ったという。

店内には他にも、一見、鞄とは関係なさそうなアロハシャツも並べられている。

「アロハシャツと横浜の縁も深い。昔、多くの日本人が横浜からハワイに働きに行きました。そのとき日本人が持ち込んだ

着物を改造したのが、アロハシャツの起源と言われています」

「そこまで土地のルーツを大切にする理由は何ですか?」

そう尋ねると、鈴木さんは当然のような顔で答えた。

「来てくれたお客さんにブランドの説明をするとき、嘘はつけないでしょう」

自分の生み出したモノに、正直でいること。そのためには確かな知識が求められ、膨大な調査が伴う。

それは時間と労力を必要とし、しんどい作業でもある。

「横浜のブランドを作ろうと思ったから」と、事も無げに語る鈴木さんに、頭が下がる思いだった。

単なる思い付きでモノづくりは続けられない。その背景に目を凝らすこと。

​そんなヒントをいただいたような気がした。

​ブランドとして、芯を通すこと

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​「独立したての頃は自宅兼アトリエで、モノを作れば部屋は山積みになるし、居住スペースがどんどん浸食されてね」

工房となる場所を探していた鈴木さんは、雨の日に散歩をしていた折に借家に出されていた今の建物に出会う。

素材となる帆布も、織工場も、お店も、たくさんの出会いに恵まれた。

「未来へのポジティブなイメージを持っていれば、そういう必然的な出会いがある。それに逆らわないということです」

これまで大変なこともたくさんあったという鈴木さんは、そう語った後に軽やかに笑った。

「ただし、何もせずに待っていてもダメです。自分から行動して、イメージを成長させ続ける。そうすれば、そういう方向に

自分のアンテナが張られていく」

​失敗することがあっても、それを一つの機会と捉えるという鈴木さん。

「楽天家なので、失敗したときもポジティブに捉えてしまいます」

あっけらかんと笑って見せるが、その裏には絶え間のない試行錯誤の日々があったのだろうと思う。

「後継者については考えてますか?」

「考えなくちゃいけないんですよ。作るものの中身やデザインは時代と共に変わってもいい。ただ、ブランドは残らないと

意味がなくなりますからね」

話を聞く職人の多くが、後継者について悩んでいる。それはモノの作り方や売り方が変化したからだけではない。

彼らが当然のように繰り返してきた作業、積み上げてきた時間や日々を受け継ぐには、相応の覚悟がいる。

―ブランドとは、想いをカタチに変えたものなのだ。

​鈴木さんの話を聞きながら、そんな当たり前のことに今更ながら気が付いた。

彼のように弛むことなく、大らかに、まるでその身に風を受けて張る帆布のように、

鞄を作り続ける若者は現れるだろうか。

「六十歳を過ぎて、新しく挑戦したいこともあるんですよ。教えませんけどね」

インタビューの最後、鈴木さんはいたずらっ子のような顔で笑った。​

​先達は、大きな海をぐんぐんと進んでいく。

海に帆を張って

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