
ふわりと、音
工房の中には、ラジオからの声が始終聞こえていた。
菅井さんは、毎日この工房に籠って制作を続けているのだそうだ。
金属をやする音、溶接の弾くような音がラジオをかき消す。
作り手の、作品への愛情が遊び心になるんです。
メキシコの路上で打楽器の魅力に触れ、花火職人をしながら楽器を集め、
インターネットで出会った新しい楽器を自分でも作ってみた。
気づけば、打楽器職人になっていた。
その生き方は、作る音色のようにふわりと自由だ。
やさしく、自由に
土鍋のような丸みの金属が二つ、円盤のように溶接されている。
表には切り込みが入れられ、叩いた音が空洞の内部で反響する。
その音色はなぜか異国の赤い大地を思い起こさせる。
望郷を起こさせる、どこか懐かしい音だ。
「プロパノータ」は菅井さんが開発し、名付けた楽器だ。
難しい技術はいらない。叩けば、やさしい音が鳴る。
それでいて、少しの工夫でその音色は表情を変える。
それは、作り手である菅井さんの人柄がそのまま表れたような楽器だ。
舞台衣裳を残す価値とは

葛飾区の青砥駅から十分ほど歩いただろうか。晴天に団地の白壁が眩しい。
車の行きかう通りの真ん中に、ぽつんとガラス張りの工房が現れた。
「スガイ打楽器製作所」という小さな看板が窓の中に飾られている。
二十代の頃に世界中を旅していたという菅井さんは、メキシコの公園で打楽器に魅せられた。
帰国してからは花火職人になり、打楽器収集に明け暮れた。
ある日、アメリカの家具職人が作ったという新しい楽器の存在を知り、「自分でも作れそうだ」と思ったという。
工場に転がっていたプロパンガスを持ち込んで、知り合いの鉄鋼場に加工をお願いした。
気がつけば、溶接や加工まで自分でやるようになっていたという。
楽器には「プロパノータ」という名前を付けた。
「日常の中で、ほとんどコレのことしか考えてないんですよ。それもどうかと自分で思いますけどね」
膝に抱えた楽器の丸みを撫でながら菅井さんは笑った。
「大切にしているのは、少しのユーモア、遊び心を加えることです」
そう言って見せてくれた楽器たちは、どれもユニークな姿をしていた。
色彩豊かに彩られたもの、スマイルマークを象ったもの、宇宙人のような見た目の小さなもの。
どれも、菅井さんの人柄を映したような姿をしていた。
「遊び心って、作り手がそのモノを愛していて、ポジティブでいられるから生まれるんです」
楽器に触れる横顔は照れくさそうだった。
遊び心は愛情から生まれる

「うまく行かないことの方が多いですよ」
菅井さんは、ほぼ毎日、この工房に籠って制作を続けているという。誰に会うこともない日々も常だという。
作業のお供はラジオだ。話を向けてみると、最近の社会情勢やモノづくりの変化、モノの売り方や買い方にまで菅井さんなりの考えを持っていた。
「若い人には創作の可能性が広がってますね。でも、前例やモデルが溢れていて息苦しさもあるかもしれないと感じます」
菅井さんが生み出したプロパノータは、手本となる楽器があったとはいえ、それまで存在すら知られていなかったものだ。
その音色と、初心者でも扱いやすいというやさしさに惹かれて菅井さんはその道に進んだ。
「前例がないことに挑戦することに、不安はないですか?」
そう尋ねると、菅井さんは笑って答えた。
「もちろんありますよ。特に宣伝に関しては、僕はそっちの方面はからっきしなので。もっと広まってほしいと思いますが
なかなかうまく行きません」
それから続けて言った。
「成功モデルがないことは不安です。でも、だからこそ自由があるんだとも思います」
その楽器の音色のようにふくよかに、大らかに、菅井さんは制作を続けている。
毎日楽器のことを考えながら、プロパノータに愛情とユーモアを注ぐ。
「いつかプロパン楽団を作りたいと思ってるんですよ。この楽器はひとりでも十分楽しめるものだけど、
やっぱり大勢で演奏した方が楽しい。その楽しさを知ってもらうためにも、なんとしても楽団で演奏してみたいんです」
それはきっと、楽しくて優しい音楽になるだろうと思った。
前例がない。だからこそ楽しい。
